鵜の森公園

鵜の森公園

心霊スポット名:鵜の森公園(うのもりこうえん)

鵜の森公園内はブランコや滑り台といった遊具があり、お茶やお菓子を味わえる茶室「泗翠庵」がある。カップルでくつろげるデートスポットにもなっていて、春には桜が咲き花見スポットにもなる。
鵜の森公園に隣接して鵜森神社もあり、元々この場所は浜田城だった場所で、城跡は1927年に四日市市によって買収され、現在の鵜の森公園になった。
数多くの文学賞を受賞した小説家の丹羽文雄の句碑も建てられ、他にも浜田城址碑や四日市空襲殉難碑、いくつかの古い墓石などもあり、夜は不気味さが感じられる。また、過去のいわくからか落ち武者の霊が現れるというウワサもあることから心霊スポットとしても知られている。

浜田城は1470年に田原美作守忠秀によって築かれた。1575年、浜田城3代目城主の田原遠江守元綱は織田信長の武将“瀧川一益”との戦いに敗れたため浜田城は落城。
その後、城主田原家の旧臣たちがこの城跡に鵜森大明神を創立し、同家の遠祖である田原藤太秀郷及び初代浜田城主以下4代の霊を祀ったといわれている。
1837年(天保8年)には別社として御霊社を創建し初代浜田城主の忠秀以下4代の霊を祀り直し、鵜森大明神に天照大御神と建速須佐之男命を祀った。1909年に神社合祀令により菅原神社、御霊社、鵜森大明神を合祀し従来の鵜森大明神を現在の「鵜森神社」に改称した。
武具や巻物といった当時の遺物は残っておらず一説には、混乱に乗じて周辺住民に略奪されたためといわれ、浜田城の武将達の住民に対する凄まじい怨念は未だに続いているという。

公園内にある四日市空襲殉難碑は1980年に建立された。
太平洋戦争中の1945年6月18日に約1時間にわたり米軍のB-29による空襲を受けたその被害は、戦災死者800余名、重軽傷者1733人、被災人口49198人、被災戸数10478戸。
さらに四日市空襲殉難碑のすぐ横には4基の墓が並んで建てられていて、とある者が市役所へ問い合わせたときの回答は、鵜森公園拡張工事で掘り起こされた墓らしく、歴史的建造物として公園へ建てたのだという。
一基の墓石には「天保15年」という文字が刻まれていること、また4基の墓石が揃えて並べられていることから、浜田城の歴代城主4代の墓ではないかと推測されるが、正確な情報がないため不明。
供養されることなく怨念を抱いているのだろうか。
霊が集まりやすい環境といってもいいだろう。

場所:三重県四日市市鵜の森1

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