桶狭間古戦場跡

桶狭間古戦場跡

心霊スポット名:桶狭間古戦場跡(おけはざまこせんじょうあと)

戦国時代、「桶狭間の戦い」が行われた地帯で、桶狭間古戦場公園、桶狭間古戦場伝説地、戦評の松、七ツ塚、長福寺、狭間神明社など、その戦跡は多く残されている。
「桶狭間の戦い」とは、1560年6月12日に尾張国桶狭間で行われた合戦。2万5千の大軍を率いて尾張に侵攻した今川義元に対して、尾張の大名・織田信長が3千人程度の少数軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた、日本の歴史的に有名な戦い。
こうした時代背景からか昔から落武者の霊が多く目撃され心霊スポットともなっている。

緑区桶狭間北3丁目の「桶狭間古戦場跡(桶狭間古戦場公園)」は、今川義元や残党らが討ち取られた地として史跡になっている。また、豊明市栄町南舘3番地・11番地にある「桶狭間古戦場伝説地」も今川義元が敗死した推定地のひとつとして、豊明市と名古屋市緑区がお互い主張し合い「本家争い」も起こっている。桶狭間の戦いの地は、今まで観光面で宣伝されてこなかったことを改め、現在は名古屋市緑区と豊明市は桶狭間の戦い関連のイベントを合同で盛り上げていくことを考えているようである。

豊明市にある「桶狭間古戦場伝説地」から道路を挟んだ先にある竹藪の中に、徳本上人が建てた「徳本の名号」という地蔵群がある。これは、この地で命を落とした戦死者の霊を弔うために建てたもので、成仏せずにさ迷っていた落武者の霊たちは地蔵を建てたことで静まったのだろう。
その横には「お化け地蔵」と呼ばれる地蔵がある。何か切っ掛けがあったのかは分からないが再び亡霊が現れるようになり1853年に尾張藩士によって建立され、この地蔵が建てられて以降、この一帯に亡霊が現れることはなくなった。
しかし、現在も一部で亡霊の目撃談がささやかれている。

名古屋市緑区桶狭間にある「桶狭間古戦場公園」には、討ち取られた今川義元の首が洗われたともいわれている「義元首洗いの泉」や、ねずの木に触れると熱病にかかるとの伝承がある「義元馬つなぎのねず」がある。
大池の前にある「戦評の松」では、大松の上の方から白馬に跨った白装束の今川義元の亡霊が現れるという伝説もある。この今川義元の亡霊と直面してしまったある魚屋は、「このことを絶対に他人に話してはならぬ」と亡霊から口止めされた。そして今川義元の亡霊はそのまま大池の方へ去って行ってしまった。その後、魚屋が他人に話してしまったところ急に熱病にかかり亡くなってしまったという。
この松は現在3代目で、1代目は伊勢湾台風で倒れ、2代目は2007年に松食い虫に害され枯れてしまった。

場所:愛知県名古屋市緑区桶狭間~豊明市

桶狭間古戦場公園
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桶狭間古戦場伝説地
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