(社会人のYさんの話)
その日の夜はとても蒸し暑く、冷房の効いた自室のベットの上で、部屋の明かりを落とし、ずっと横になっていた。
しかし、疲れていないせいか全然眠れない。目が冴えるばかりで、気がつけば午前1時を過ぎていた。
このまま横になっていても眠れる気がしないので、ふと思い立って、家を抜け出した。近所の小さな公園へ向かい、途中で自動販売機で飲み物を買い、誰もいないベンチに腰を下ろす。少しだけ吹く風が蒸し暑くも心地よい。
ただ、それも束の間だった。
「…ぷぅぅん……」
耳元で、小さな羽音がした。蚊が血を吸いに来たのかと反射的に手で振りはらう。しばらく静かになるが、すぐにまた音が戻ってくる。
「ぷぅん……ぷぅぅん……」
また来た。イラっとしてさらに大きく手で振りはらった、そのときだった。
「…ヴぅ……ヴぅうぅ……あ゛あ゛……っ……」
すぐ近く、真横から、くぐもった“うめき声”が聞こえた。
蚊ではない、男の声だ。
擦れるような、蚊の羽音にまぎれるような声で、耳元にぴたりと張り付くような響き。
ぞわり、と背中を冷たいものが這い上がっていく。
視線だけで周囲を探るが、木々がほんの少し風で揺れているだけで、公園には人の気配はない。
「…うっ……ぅぅ……あ゛あ゛…っ……」
吐息が、右の耳たぶをかすめた。
動けない。
体がまるで金縛りにあったように座ったまま硬直する。
すると、さっきまで何もいなかったはずのすぐ隣に“何か”が、いる。
それも、こちらに体を向けて、同じようにベンチに座っているのだ。
恐怖心を落ち着かせながら、ゆっくりと横を向き、隣りにいる“何か”を確認する。
かすかな街灯の明かりが反射し、視界の端に緑色の服を着た生気のない男の顔が浮かび上がった。
そいつは、首をかしげて、にたぁ、と笑った。
それを見てとっさに跳ね起き、転ぶようにして公園を飛び出した。
それ以来、あの公園には行っていない。
近所の人の話では、時折、あの公園のベンチに、誰かが二人並んで座っているのを見るようで、見た人は皆、座っている一人のほうは緑色の服を着た男だったと話している。