
三重の心霊スポット
菰野湯の山
(三重郡菰野町)
道路側に面した窓枠は全てベニヤ板が張ってあり入口付近のコンクリートには焼け焦げた跡がある。
また川に面した裏手の窓からはカーテンが引き裂かれたような亀裂がある。
ここでは男性の腐乱死体も発見されている。
菰野町のとある廃墟に入ると必ず事故を起こすらしい。
平成11年5月、三重郡部に住む男性3名
平成11年8月、四日市市内に住む男性4名
平成11年9月、鈴鹿市内に住む男性5名
平成12年1月、四日市市内に住む男性4名
これらはこの建物に立ち入った人におきた事故である。
廃火葬場
(津市)
過去に同地区の森に入り込んだ男の子が行方不明になっている。
ここに訪れた1名が交通事故で死亡し、数ヵ月後には、もう1人が病気により死亡したらしい。
他にもここに訪れて事故にあった人が多数いるらしい。
火葬場を訪れた後、車に戻るとフロントガラスに無数の手の跡が付いていたり写真を撮ると霊が写るともいわれている。
青山トンネル
(一志郡)
トンネル前にある電話ボックスの受話器を取ると向こうから男の呻き声が聞こえてくるらしい。
戦国時代には青山峠は合戦場で、その戦死者たちの霊があらわれるらしい。
安濃ダム
(安芸郡)
ここのトンネル内に入るといきなり車のエンジンが止まったり女の叫び声が聞こえるという。
近くには小さな墓地があり、ここでも心霊写真が取れたり霊が出るといわれている。
中河原海岸
(津市)
この海岸では第2次大戦中に爆撃され250名もの人間が戦死したらしい。
生き残った者たちは、この海岸で250体もの遺体を焼き、そこに埋めた。
それ以降、幼稚園児数十名が、海に引き込まれるようにして亡くなっている。幼稚園児を助けようとした教諭は、もんぺを穿き防災頭巾をかぶった女たちが園児たちの足をつかんでいたと証言している。
他にも水泳実習中の女子中学生36人が水中に引き込まれている。
助かった生徒の多くはやはり、もんぺと防災頭巾の姿の女たちの水中に引き込まれたと話している。
旧総谷トンネル
(一志郡白山町)
1971年、旧総谷トンネル内で電車の正面衝突事故が起こり、死者25名重軽傷者227名にものぼった。
トンネル内部から女性のすすり泣く声が聞こえたり、何かを引きずる音が聞こえたなどの体験談がある。
心霊スポットとして有名らしいが市街地から離れている事や所在地が解らない為、肝試しが目的の夜の訪問者は殆どいないらしい。
軽いノリで行けるほど安全な心霊スポットでは無いらしい。
鵜森公園/鵜森神社
(四日市市)
三重県四日市市にある鵜森公園、鵜森神社は浜田城址地で、1575年6月6日織田信長の軍勢により攻め滅ぼされ浜田合戦が行われ、たくさんの人がお亡くなりになられた。
浜田城3代目城主の浜田遠江守元綱の最期は子供を逃がした後に家臣と共に切腹し、城に火を放ち落城。
鵜森神社は最初、浜田城の歴代城主を神として祀っていたが新領主の配慮により表向きは神を祀っていると届け出た。
それ以降、いつの間にか合祀という形にして、現在に至っている。
合祀とは言うものの慰霊祭もせず・慰霊碑すらもなく、現在も全く何も供養をしていない。
浜田城の武将達の霊は鵜森神社の境内にある塚にいまだ供養されることなく怨念を抱いている。
100年以上続く浜田城にも関わらず、巻物や鎧など一切何も残っていない。
なぜなら自分達を助けることなく、混乱に乗じて城の物を一切合財持ち逃げし、死者の追い剥ぎをした。地元民に対する怨念は凄まじいものがある。
平成になって、何も知らない鵜森神社関係者が塚に伊勢神宮の遥拝所の札を建て、今なお神域として立て札を建てたり注連縄を張ったり、罰当たりなことをしている神社だ。
そして隣接する鵜森公園には戦没者慰霊碑があり、その横には四つ墓がある何のために建立したのか一切説明がなされていない。
市役所へ問い合わせたら、鵜森公園拡張工事で掘り起こされた墓らしく歴史的建造物として公園へ建てたというのだ。
鵜森神社・鵜森公園は昔から治安が悪く自殺や殺人が後を絶たない。
霊が集まりやすい環境ができている。