世界的にその名が知られる日本の心理学者・文学博士。(1869~1952年)
博士文論「催眠術の心理学的研究」は、催眠に関する日本最初の学術的研究であるとされる。
東京帝国大学の助教授であった明治43年から、熊本の透視能力者・御船千鶴子(1886~1911年)を研究。
その間、偶然のことから念写という考えに思い至り、まもなく、四国丸亀の判事夫人・長尾郁子(1871~1911年)の念写能力もを研究するようになった。
念写という言葉は、英語のソートグラフィやネングラフィも含めて、ともに福来博士の造語である。
しかし明治44年、世間にトリック扱いされたことに悲観して、2人の被験者が相次いで死亡。
博士自身もマスコミに騒がれすぎたことなどが災いして、大学から退職を勧告されるに至った。
大正期には新たな念写能力者・三田光一(本名才二、後に善靖。1885~1943年)を研究したが、大正7年2月、東京での実験会で、三田のフィルム板すり替えが明らかになり、いちじるしく信用を傷つけられた。
人徳厚く、以上のような事件があったにもかかわらず、その後も大阪専心女学校校長、さらに高野山大学教授に迎えられている。