鶴屋南北作東海道四谷怪談が江戸・中村座で初演された文政8年(1825)7月26日を記念して幽霊の日となった。
幽霊といえば『足がない』と多くの人が想像する。
現に足のない幽霊の話や幽霊画などたくさんあり、足のない幽霊がメジャーな存在となっている。
しかし実際には下駄の音を鳴らしながら現れる「牡丹灯籠」のお露さんや、軍隊が多く亡くなった地ではラッパの音とともに軍隊が行進している足音が聞こえるなど、足音をたててアピールしてくる怪談噺も多数ある。
どうして現在、足のない幽霊が一般的なものとして広まっているのだろうか。
江戸時代中期まで遡ってみると、そのころの幽霊にはまだ足があった。
その時代には円山応挙(まるやま おうきょ)という絵師がいて、円山応挙は透視遠近法・陰影法・大小遠近法・鮮明度差遠近法・明度差遠近法といったさまざまな技法を使って絵を描いた。
その作品の中には、障子越しに病弱であった妻の影姿を見たことによって足のない幽霊を思いつき描かれた絵もあり、諸説あるが、これが「足のない幽霊」として最初にできあがったものといわれている。
江戸時代初期にはまだ円山応挙ような技法を使った絵はなく、中期になり掛け軸から幽霊が飛び出しているように見えるものや、角度を変えると、ないはずの模様が浮き出てくるといった作品が出され、この足のない幽霊が広まり定着していったのだろう。
幽霊を見てしまったという体験を持つ人たちの中には、足のある霊の目撃談や、生きている人間となんら変わりのない姿であると証言するものもいる。
また、気になるのが昔の幽霊の掛け軸を見ていると圧倒的に女性の幽霊画が多く、怪談噺などでも女性の幽霊の話のほうが多いと感じる。
なぜ幽霊は女性ばかりなのか。
これについてコラムニストの木津川 計さんはこのように話していた。
現世の怨みつらみを晴らすためにあらわれるのは女性の幽霊のほうが多い。
その理由は、男に虐待されたり裏切られるなどしたためで、女は男に比べて体力的にも権力的にも経済力でも立場が弱いため、生きているときは報復できず死んでから怨みをはらしにあらわれる。
女は男に比べて不利な生き方を強いられてきたため、幽霊は女ばかりなのだという話だ。