日本古来の古楽に大陸から渡来した音楽や舞いが加わって融合した音楽で、平安時代に完成された雅楽。
その中に、忌み嫌われ、ほとんど踊られることのない曲がある。
なぜなら、その舞楽を舞うと必ず死ぬという言い伝えがあるからである。
その言い伝えは迷信では終わらなかった。
成見裕之さんが舞楽を始めたのが6歳ごろで、師匠について習い始めたのが中学生に入ってからだという。
雅楽に対して研究熱心で知らない曲をどんどん身につけたいと思うようになっていた。
しかし雅楽の数ある楽曲の中に師匠がどうしても教えてくれない「採桑老(さいそうろう)」という曲があった。
まもなくして成見さんは稽古場の蔵の中で、ある日偶然に採桑老の舞い方が記されている巻物をみつけた。
再度、師匠に採桑老の舞い方を習いたいと頼み込み、決して人前で舞ってはいけないという条件付きで教えてもらうことができた。
こうして成見は禁断の舞を伝授されて、以来、人前で披露することはなかったのだが、10年後、とあるイベント会社のプロデューサーに突然呼ばれ、悩んだ末に採桑老を踊ることになった。
それからは立て続けに奇妙なことが起こるようになる。
面職人は、このイベントで使われるはずだった面が完成する直前に亡くなった。
これがそのお面。
採桑老とは、不老不死を求めて彷徨う人物が次第に老いていく姿を表現した曲。